私はケビンです。16歳(さい)のとき、私は、生活というものは何でも自分のほしい物を手に入(い)れることだと思っていました。そして、もし私がほしいものを手に入れたら、私は幸せになると思っていました。私はまあまあ裕福(ゆうふく)な家庭(かてい)で育(そだ)ちましたから、私のほしかったものは、ほとんどすべて手に入(い)れました。そして、結婚(けっこん)前に女性と関係(かんけい)を持(も)ったり、麻薬(まやく)を経験(けいけん)したりもしました。
しかし、そのどれも私を満足(まんぞく)させてくれませんでした。ある日、イエスキリストについて学(まな)びました。イエス様は私のかわりに、そしてすべての人のかわりに、十字架(じゅうじか)で死(し)んでくださいました。
わたしはすべての人が神様の基準から外れているのですべての人は天国に行くことができないことを学(まな)びました。神様の基準というのは、あなたには、わたしのほかに、神々があってはならない、偶像を造ってはならない、うそをついてはならない、ぬすんではならない、殺してはならないというものです。殺すというのは、他の人を嫌ったらもうすでにその人を殺したことになるという意味です。そして、姦淫してはなりません。姦淫することというのはだれでも情欲をいだいて女性を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したということです。だから、正(ただ)しい神様は罪ある人間と関係(かんけい)を持つことはできません。
でも、神様は私たちすべてを愛してくださっています。ヨハネ3章の16節では、神様はイエスを信じるものは滅(ほろ)びないで永遠(えいえん)の命(いのち)を与(あた)えてくださると約束(やくそく)してくださいました。イエスはすべての人に与えられた神様の最高(さいこう)の贈(おく)り物なのです。そして、私たち一人(ひとり)一人を知りたいと思っておられます。だから、イエス様は罪の問題(もんだい)を解決(かいけつ)するために十字架(じゅうじか)の上で死(し)なれました。
イエス様が私のために死(し)んで私の罪の問題(もんだい)を解決(かいけつ)してくださったことを信じてイエス様に自分の生活をゆだねました。そして、わたしは価値(かち)ある生活を手に入(い)れました。
また、子供の時から音楽が大好きでいつも自分の部屋にいて音楽を聞きながら遊んでいました。ある日お父さんのアコースティックギターを見つけてラジオといっしょにギターを弾いてみました。そのあとに音楽を聞くだけではなくて音楽を弾きつずけたかたです。ギターレッスンを始めましたけどそこで弾いた音楽と好きな音楽と違ったから1年後辞めてしまいました。自分でミュージシャンのまねをしたり、有名な曲を弾いたりしてギターの弾き方を学びました。
18歳からいろいろなバンドにいました。あるときはドラマーで、あるときはギタリストでした。2004年に私の初めのオリジナル曲を作りました。とても楽しかったから曲を作ることが止められません。それで、今EP(アルバム)を作っているところで来年の夏に出すつもりです。
イエス様を信じてからイエス様のために自分の才能と生活を使いたいです。2005年にアメリカからその望みを分かち合うために日本に来ました。音楽によってもそのことを分かち合いたいです。